tennis88’s blog

上海でテニスをしています。

試合を見ることがどれだけ大切か

 

初めに断言しておきますが、

テニスは良いイメージを頭の中に作ることが最も大切です。

テニスが上手くなりたい。苦手を克服したい。その場合はとにかくたくさんテニスの試合を見ることです。雑誌ではなく動画。スローモーションではなく通常の速さ。そしてできれば生の選手を間近で見る。

雑誌のコマ切り連続写真はあくまでもフォームの参考であって、選手がどこで力を入れ始めているとか、どれだけリラックスして打っているからまったくわかりません。

スローモーションも同じく。

動画を見るのが一番簡単な上達する方法です。

そして生で間近で見る。これが一番大切です。

選手がどれだけリラックスしているか、息遣い、フットワークの素早さ(足音など)、ボールの回転量、ボールの角度、体の芯の安定感、打ったボールの音、リストの柔らかさ、ボールがラケットの面に長く乗っていてまるで掴んでいるような安定感、体重移動、選手が打つ時にどこを見ているか、打つ前打った後のほんの半歩のポジション移動などなどなど。

これは間近で見て肌で感じるだけでまったく違います。

論理立ててテニスを上達している人もいますが、論理系の人も感覚系の人も見るだけで確実に上手くなります

 

考え過ぎて、練習しすぎてドツボにハマってもっと調子が悪くなるようだったら、いっそ上手い人のプレーを見たほうがよっぽど練習になりますよ。

僕がジュニアの時に有明でプロの試合があった時に見に行くと、全国中のテニスの友達としょっちゅう鉢合わせしたものです。名門のテニスクラブは強くなる子供をほぼ確実に試合に連れて行き見させています。おそらくプロの試合を見ないでプロになった人はほぼ0だと思います。

 

大人は、

「私なんかのレベルがプロの試合を見ても参考にならないから意味がない」

「そもそも体格が違うから真似をしても意味がない」

と言って見ないし、真似をしない人が本当に多い。

ジュニアは、

「〜〜選手の真似!」といって勝手にどんどん新しいことに挑戦して覚えますし、

身長150cmの小学生が190cmあるプロの真似をして育っていますよ。

 

「百聞は一見にしかず」とはまさにこのこと。

苦手なショットがあるのなら100人に聞くよりも上手い人も見ることです。

そして難しく考えずなんとなく真似してみること。

テニスはタイミングのスポーツなので、フォームが合っててもタイミングがずれているとボールに力が伝わらないし、ちゃんとした方向に飛ばないし、ミスします。

生で見て「タイミングを掴む」これかなり大切です。

面の向きとタイミングがあってればボールは全て入るので簡単なスポーツですよ。

苦手なショットがある お国柄編

オールマイティーな選手を覗いて、苦手なショットって大抵の方が持っていますよね。

これ、よく悩んでいる人がいるんですけど、実は苦手なショットがあるって結構良いことだったりするんですよ。

それは、何故でしょうか?

 

 

多いパターンはフォアが得意で、バックが苦手ではないでしょうか?

バックの高い打点はテニスをする多くの人によって永遠の課題でもありますよね。

あのフェデラーだって左利きのナダルのトップスピンボールでバックハンドの高い打点を狙われているんですから。

 

世界のトッププロでも攻撃力でいうとフォアハンドの方が高いという選手が圧倒的に多いです。

(稀にサフィンやガスケといった圧倒的にバックハンドが得意な選手もいますが。)

彼等は圧倒的な爆発力のあるフォアハンドを武器とした選手がとても多いですね。

それはプロになってからフォアハンドが急激に良くなったのでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。

彼等はジュニア時代から得意のフォアハンドを活かして活かして強くなっています。

 

 

これはお国柄ですが、

日本人は苦手を克服する練習に重きを置いて、基礎、基礎、基礎を重ねることが多いです。多分、世界でテニスのフォームが一番綺麗なのは日本人なんじゃないでしょうか。

 

欧米やオーストラリアの選手は得意なショットを育てて、育てて、フォアハンドが怪物級、バックハンドが羽子板みたいな人もたくさんいます。

身長が2mくらいあって、サーブとボレーが超上手くて、ストロークが全く打てないって人もいますね。(カルロビッチとか)

 

今のテニスの基準を作ったスペインを含む高く弾む球足の遅いクレーコートで育つヨーロッパの選手は、フットワークの練習やトップスピンの量、スライスなどの交わし、体力、ショットのプレイスメント(組み立て)に重きを置くことが多いですね。打ち方なんてどうでも良い、上手く芸術的に面を作って全然ミスをしないという10歳くらいの子が五万といます。

皮肉を言うと、フォームが世界で一番綺麗な日本人の、面を綺麗に作る能力はかなり低いと思います。

 

(余談ですが、日本のツルツルのハードコートで育った選手はフラット系の人が多く、インドアコートで育った人はタイミングが早くあまりベースラインの後ろに下がらずにパンパン打つような選手が多い気がします。世界基準はやはり高く弾むザラザラのハードコートクレーコートだなぁ。。。)

 

さて、本題に戻って「苦手なショット」ですが、日本人は苦手なショットが少ないオールマイティーなプレイヤーが多い分、武器が少ない人が多いです。

将来的に強くなりたいのであれば(どのレベルでも)得意なショットをより伸ばすことを視野に入れて練習を行ったほうが良いと思います。

バックハンドが苦手でも、それが荷物にならないくらいフォアハンドが素晴らしいとか。

ストロークは威力がないけど、フットワークが素晴らしくて全然相手からエースを取られないとか。

ダブルスのボレーは苦手だけど、後衛のポジションで相手の動きを見るのが得意とか。

 

 

ジュニアの時からずっと特に苦手がなく、でもこれといった武器がないという人。この選手がその後に一気にどこかでズバンと強く勝てるようになる確率はそこまで高くありません。

でも、欠点はあるといえど、ものすごく得意なショットもあるという選手、こういう選手の方が将来的に化けたときの伸び幅が規格外だったりします。

 

【自分の苦手を活かすことができるテニス】を探すのも一つの手ですよ。

日本の友達でバックハンドがまったく打てなくて基本全部スライスで、フォアハンドが超高校級で学生トップ、そのままプロになった人もいます。

 

得意なショットもどんどん伸ばしていきましょう!

テニスに必要なこと、何を練習したらいいのか。

テニスのレベル分けはとても難しいものがあります。

ボールの速さ ≠ 強さ

ボールのパワー ≠ 強さ

ボールの安定性 ≠ 強さ

足の速さ ≠ 強さ

反射神経の良さ ≠ 強さ

頭の良さ ≠ 強さ

テクニック ≠ 強さ

メンタル ≠ 強さ

体力 ≠ 強さ

背の高さ ≠ 強さ

だからです。

 

何か一つすごいから強いというわけではないですし、何か弱点があるから弱いというわけでもありません。

色々なことの組み合わせでその人の強さが決まってきます。

 

大切なことは、

「自分に何が必要か」と

「自分が何をしたいのか」を再認識することだと思います。

 

例えば、パワーのない人たちの試合では、言ってしまえば深いロブをミスなく完璧に撃ち続けられれば負けることはないわけです。相手がそれを打ち切るパワーも心の強さもなく体力がなければそれだけで勝つこともできるわけです。

 

ここで出てくるのが「果たして自分はそうやって勝ちたいのか?」という疑問です。

 

「自分はやっぱりハードヒットして勝ちたい」という信念があるのなら、パワーをボールに伝える練習が必要なわけです。

そして自分の打つボールが速くなるのなら、それに合わせてフットワークも強化しなくてはいけないわけです。よりボールの返って来る時間が早くなるので。

そして速いボールばかり打っていると相手もそのスピードに慣れてきて攻略されてしまうので、スライスやドロップショットやロブなどのタイミングやパワー、スピードの違うボールが必要になってくるわけです。

自分がパワーボールを打つと相手から甘いボールが返って来る場合があるので、そこでチャンスボールやボレーカットの練習が必要になってくるわけですね。

もしくは自分のパワーボールを相手がカウンターで返してくる場合もあるわけですから、そのボールを深くミスせずに返せるようにディフェンス能力も必要になってくるわけですね。

 

 

では、自分は強いボールはまったく打たなくてもいいからミスをしないで勝ちたいとしましょう。

何が必要になってくるでしょうか?

当然ラリーが長くたくさん走る必要が出てくるので体力が必要になりますね。

長いラリーに痺れを切らした対戦相手がドロップショットを打ってくる場合があるので、前後のダッシュの速さも必要ですね。

相手も高いロブを返してくるときに、後ろのフェンスが狭かったらそのボールを後ろで返せないので、ライジングショットの練習が必要になりますね。

相手も本当にミスをしない相手だったらラリーが終わらないので、どこかで終わらせるために作戦を立てないだめですね。基本的にはミスをしないようにつなぐけど、相手の浅くなったボールは打ち込んで決めるとか、サイドにロブを打って相手もロブを打ってきたらドライブボレーで決めるとか。

 

 

つまりですね。

「ハードヒッターになりたい人」は、ハードヒットをするだけの練習をしていてもダメなわけです。

「ハードヒットをすることができる展開に持っていく練習」もしなくてはいけないし、

「ハードヒットを活かす練習」も必要なわけです。

 

「ミスをしないで勝ちたい人」は、ミスをしない練習だけしていてもダメです。

「自分はミスをせずに、相手にミスをさせる練習」をしなくてはいけないし、

「相手もミスをしない場合のポイントの終わらせ方」を練習しなくてはいけないわけです。

 

テニスは自分のやりたいプレーという一本の太い柱を支える為に、

他のことをたくさん練習する必要があります。

なので「総合力」が必要になってきます。

 

自分はハードヒットが得意。

でも相手は速いボールの方がタイミングが合って好き。

そしたら遅いボールを打つ必要がありますね。

 

ここで対戦相手によって自分のプレーを変えることができるというのも、

強さのうちの一つです。

セレナウィリアムズ選手について

先日の全米オープン2018の女子決勝では大きなドラマ?事件?が起きましたね。

セレナウィリアムズ選手を批判する人もメディアも多いですが、少なからず肩を持つ人もいますね。僕は、どちらかと言うと、セレナの味方をしてあげたい気持ちが大きいです。

 

最初に断っておきますが、今回セレナ選手の行為はチャンピオンとして、グランドスラムの決勝として、許される行為ではありません。

しかし、何故このようなことが起こったかの背景を理解してから、もう一度批判をするのかを決めていただきたいです。

 

僕は、試合を生中継では見れなかったので、後から録画されたものを見ました。

簡単に僕の意見をまとめますね。

 

1、コーチングについて

今回の、試合を動かす最初のポイントはセレナがコーチングを受けたか否かです。

審判はセレナがコーチからアドバイスを受けたとして第一回目のペナルティ(警告;ウォーニング)を取りました。

イギリス由来であるテニスは紳士淑女のスポーツと言われ、ラケットを折る、暴言を吐くなどの行為に加え、アドバイスを受けるなどのスポーツマンシップに反する行為には、罰則行があります。(罰則に当たる細かいルールはたくさんあります)

1度目は警告コーチングを受けたのはここに当たります

2度目は1ポイントを失い

3度目は1ゲームを失います。

 

それに対してセレナ選手はポイント間で審判台に行き、審判にこう言っています。

「コーチが私に対して親指を上げただけであって、あれはコーチングには値しない。」

そして「私はチートをして勝つなら、負けることを選ぶ」ともとても穏やかな口調で言い放ちました。

その後のチェンジコートのセレナ選手が座っている時にまた審判と会話しています。

会話の最後は

「i don't cheat」(前の会話を含めた上で)私は反則をする人ではない。

「i know that」(わかっているよ)

そしてお互い「thank you」で終わっています。

この時の会話もとても穏やかなものです。

 

ここで問題なのは、果たしてあれはコーチングとカウントするのかどうか。

先に書いておくと試合後の興奮した状態のセレナのコーチはこう答えています。

「実際のことをいうと私はコーチングをしていました。ただそれは全員のコーチがすることで私だけではなく他の選手のコーチもしている。」

インタビュワーが「あなたは今までにコーチングで罰則をとられたことがありますか?」との質問に、

「今まで一度もない。データを調べてもらえばわかる。」と答えています。

 

野球では監督がバッターに指示を送っていますね。

様々な手のサインがあり、チームで作戦を決めます。

それに対し、テニスでは「強気でいけ!」などの意味を込めて親指を上げて選手を応援するシーンはよく見られますが、これがコーチングになるのかどうかの明確な基準はまずありません。

そもそも複雑なテニスの勝ち方の中で、野球の「一球をどこに打ち返すのか」のアドバイスと違い、数十メートル離れたところから的確なアドバイスができるとも思えません。

テニスのコーチングの罰則は、グランドスラムの舞台ではなく、プロの下部の大会や、ジュニアの試合など、親やコーチが選手のいるフェンスの真後ろにいる時に選手と会話をしたときなどにメインで取られているものであり、何十メートルも先にいるコーチのジェスチャーコーチングにみなされることは、ほぼありません。

 

海外の選手が大切な場面でミスをしたときに自分のコーチの方に向かって両手を広げて、「何故だー!」というようなジェスチャーを行い、コーチがうんうん。大丈夫さ!と頷く。こんなシーンはいくらでもあります。

 

2、ラケットを折ったことについて

これは罰則です。これは言い訳のできない反則行為です。

ここで問題になっているのは、この行為が、

1度目は警告

2度目は1ポイントを失いここに該当するかどうか

3度目は1ゲームを失います。

 

先ほど説明した穏やかな会話の中でレフェリーは最後に

「i know」と言い、セレナがチートするような選手ではないということを認めています。

しかしここで審判はセレナにポイントペナルティ、つまり二つ目の反則行為とカウントしたわけです。

 

これに対して、セレナは

「i didn't get coaching, you need to make a anouncement that i didn't get coaching.」

(私はコーチングを受けていない。あなたは私が先ほどコーチングを受けていないことをアナウンスしなくてはいけない)と主張しています。

ここまでは、穏やかな口調でしたが、主張を変えないレフェリーに対して、徐々にフラストレーションが溜まり、

「you own me an aporogy! i have naver cheated in mylife!」

(あなたは私に謝罪しなくてはいけない、私は今まで一度もチートをしたことはない!)と主張しています。

 

3、「you are a thief!」は審判を侮辱したことになるのか

 

ゲームが終わり、次のチェンジコートの時に

「you stole a point from me. you are a thief too」

(あなたは私から1ポイントを奪った、あなたは泥棒でもある)

(ここで「too」「でもある」なのは、その前にセレナがあなたは「ライヤー」だと言っているからです。)

 

この言葉が3回目の違反にあたり、セレナはゲームペナルティを受けました。

テニスの試合で1ゲームの罰がいかに大きいものかは、みなさんわかりますよね。

 

この言葉が新聞記事やネットニュースで使われていますね。

ネットの記事は、閲覧者数を増やすために背景を伝えずに「泥棒」という言葉を全面的に使いセレナが理由もなく一方的に怒り狂ったような書き方が多いのがとても気になります。」

この後セレナはスーパーバイザーを呼び更に抗議を続けています。

 

さて、前置きが長くなりましたが、

セレナが「泥棒」という言葉を使ったのは「アンフェアなジャッジでポイントを審判に取られたから」という意味があります。

その前に「ライヤー」(嘘つき)といったときには罰則は取られませんでしたが、「泥棒」という言葉を使った後に罰則を受けました。

テニスの審判や観客、対戦選手に向かって放った言葉で罰則が出る場合一般的には

Fワードと呼ばれる汚い言葉や、人種差別的な言葉、相手の社会的立場を下げるような言葉などです。

今回の言葉を何の前触れもなく使ったのなら罰則をもらう可能性はありますが、あくまでも理由があって言った言葉で罰則を出したのは驚きです。

 

4、男女差別はあるのか

次にメディアが注目しているところはここでしょう。

何故、これが注目されるのかといえば、

セレナが、

「this is not right, this is not fare, this is happing to me too many time. There are men out here that do a lot worse, but because I’m a woman, because I’m a woman you’re going to take this away from me?」

(このようなことは私に対して何度も起き過ぎている。多くの男子選手が私よりもっとひどいこと行いをしてる。私が女性だからこのような仕打ちを受けるのか)

とコート上で審判に向かって言ったからです。

 

実際に多くのコメンテーターがセレナの肩を持っています。

「男子選手は10倍ひどいことを言ってもペナルティを受けない」

「男子選手は何を言っても許されている現状はある」

とのコメントもあります。

 

逆に、

「セレナの主張は一部正しいが、それでもあのような行為は許されるべきではない。」とのコメントが最も多いです。

 

僕の意見は、こちらと同じで許されるべきではないと思います。

しかし、弁解の余地がまったくないわけでもないでしょう。

 

 

この事件に対し、

どうやら、アメリカ人と日本人のコメントがかなり割れているようです。

 

アメリカでは、

彼女の主張もわかる。女性差別の問題があるかもしれない。などに対し、

 

日本では、

どんなことがあろうと審判に口答えをするのはいけない。という意見もあるし、

「日本人がグランドスラムの決勝に言ってるからテニスのことはよくわからないけど見たらなんか大問題になってる、相手の選手はラケットも折るし、審判に怒ってるし(英語わからないけど)、ありえないだろ!」みたいな人も多い。

「スポーツに人種差別とか女性差別を持ち込むな!」っていう意見も多いので、人権やスポーツに対する価値観はまだまだ違うんだと思う。

 

これは、

「どんなことが起きても上の人(先輩や上司)には逆らってはいけない。」

「スポーツで個性を出すことは悪いことである」

という日本の古くからある考え方に少し由来している気もしました。

 

海外だと、あくまでも、ひとりの人間としての行動を重視する国が多いので、そもそも考え方は違うのは、当たり前ですが。

 

僕は、スポーツで人が感動するのは、ロボットがプレーしているのを見るのではなく、生身の感情を持った人間同士で闘い、その人の人生をかけて、ドラマが生まれることで心が動くからだと思います。

その選手に今まで何が起きたのかを知らずに、一部を切り取って「常識的にこれはダメだろう」という批判は、少し悲しい気持ちもしますね。

 

しかし、テニスは、テニスをしている人だけのものではありません。

これまでテニスに興味がなかった人たちや、テニスを知らない人にもテニスを好きになってもらう必要があります。

知識のある人が、身内だけしかわからない理由で大衆が許せないと思っている行為を許すのは、いけないことなのでしょう。

 

セレナ選手は、自分のしたことを見つめ直し、そしてもっと大きい選手としてまた帰ってきてほしいですね!

グランドスラム最多優勝記録を持ち、子供を出産してまたコートに帰ってきた素晴らしい選手です。

この苦難を乗り越えてくれることを祈っています。

大阪選手おめでとう!

どうも、僕は上海に帰ってまいりました。これからまたよろしくお願いします。

 

そんなことより!!

大阪選手やりましたね!

USオープン制覇!日本人初!

新しい時代の幕開けですね。

 

女子のテニスはエナンが引退したあたりから、固定の女王がいなくなりました。

昔はグランドスラムの優勝者はある程度決まっている人がいて絶対的女王がいましたが、ここ数年は毎回優勝者が違うように、圧倒的1位がいませんでした。

ヒンギス、グラフ、セレス、ナブラチロワ、エナン、クライシュテルスたちのような圧倒的強さの中の一人セレナウィリアムズを地元開催の決勝で破るのは素晴らしいメンタルですね。

セレナは圧倒的強さを15年以上保っている選手でグランドスラムタイトルも最も多い選手、出産後の最初のグランドスラムタイトルを全米中が期待していたので、そのぶんプレッシャーも両者大きかったでしょう。

 

さて、今回の大阪選手の優勝でいろいろな話題が上がることは間違いないでしょう。

 

ハーフの選手が優勝したときのアイデンティ問題。日本人が心から大阪選手の優勝を受け入れるのか。

今回の決勝のセレナの態度や観客のブーイング問題。何も悪いことをしてない優勝者に向けての、攻撃的なブーイングなど。

 

USオープンはグランドスラムの中でも、お祭りのような大会で、アメリカ人はとにかくアメリカ人が大好き。アメリカの国旗を背負った選手をお祭りのように応援する大会ですから、今回のブーイング問題は、その象徴だと思います。

 

スポーツとは、本来政治的な関与がない立場で行われなくてはいけないものですが、やはり大きい大会で、歴史的な結果が起きた時、それに対する色んな角度からの意見が出るものです。

スポーツを通していろいろなことを学べることも、スポーツの素晴らしい一面だと思います。

スポーツの意義は自己表現にある

お久しぶりです。

今とてもおもしろい本を読んでいるので、その文をまるごと転載させていただきます。

 

スポーツの意義は自己表現にある

私は、スポーツをすることとは絵画を描いたり、音楽を演奏したり、文章を書いたりすることと同じで、自己表現の一つだと思っています。自分の感じ方、考え方を、プレーを通じて表現するのです。

とはいえ、絵画、音楽、文学などと違って、スポーツには常に二者の間に勝敗を決するという特徴があります。ですから、スポーツのプレーは常に、自己表現でありながらも、勝利に向かってもっと合理的な方法であるべき、という課題を背負わされます。

スポーツの監督、コーチは、勝利に向かうためにもっとも合理的だと自分が信じるプレーをあらかじめ用意し、それを実施させようとします。理想はその監督、コーチの感じ方と、プレーをする選手の感じ方とが一致することですが、現実にはそう簡単にはいきません。ある1つのプレーに対して、それが勝利に向かうためのもっとも合理的な方法と感じるかどうかは、人によって違ってきます。

プロスポーツの場合なら、指導者と選手の間に感じ方の違いがあっても、指導者が強制的に自分の指示する方法をとることが許されます。なぜなら、彼らは互いにビジネスとしての契約の中で結果を求められているからです。指導者はその方法で失敗すれば責任をとって解雇される危険を背負い、また、選手は与えられた条件の中で結果を出すことで高額な年棒をや草奥される、という関係の中で両者は生きているからです。

しかし、そうした関係をアマチュアのスポーツ、とくに成長期の青少年の指導に当てはめるのは間違いです。なぜなら、成長期のスポーツは、ビジネスとしての結果を求められていないからです。

成長期の青少年は、大観衆を楽しませ、テレビの視聴率を稼ぎ、スポンサーの名前を出すためにプレーをしているのではありません。

私は、成長期の青少年がスポーツをする意義の中で、もっとも重要なことの1つが、さきほど挙げた自己表現だと思っています。

(略)

スポーツの指導者は、青少年の選手が、一つ一つのプレーの場面において「自分はなぜそのようにプレーしたのか」ということを考え、主張できるように育てなければならないと思っています。

しかし現実には、その逆で、日本のスポーツ界には、「選手はあまり考えなくていい」、「指導者のいうことの黙って従いさえすればいい」、という考えが根強く残っています。

 

【少年スポーツ ダメな指導者 バカな親】

著:永井洋一(スポーツジャーナリスト)

 

この本は子供にスポーツをさせる親御さんや、指導者の立場にあるコーチや監督、顧問。そして選手本人にも読むと為になることがたくさん書いてあると思います。

厳しければ厳しいほどいい。スポーツの教育での体罰が許させる。子供は自分の意見を言ったらいけないなどという、日本の古風なスポーツの風潮に対しての本です。

勇気付ける

台湾から帰ってきた後に家族と新潟に船釣りに行きました。初めての経験ばかりでとても記憶に残りました。

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最近読んだ本から印象に残ったものを紹介します。

 

心理学の実験を行いました。ルールは以下
○バラバラの文字を使って言葉をつくる
○文字を3つから6つ使うものまで4種類自由
○子供達には事前に文字が増えれば増えるほど難易度が上がることを認知させる。

そして2つのグループに分けて、
1つのグループには「単なるゲームだから」と伝え、
もう1つのグループには「正答の数で評価する」と伝えました。

 

結果
「単なるゲーム」と伝えられた子供達は、できるだけ難しい課題に挑戦しようという意識が強く、平均して5文字の課題を選択しました。

 

「正答の数で評価する」と伝えられた子供達はは、平均して4文字以下でした。

 

この場合、この結果が指していることは、
「評価される」という心理的負担があるだけで、子供の中で、自分の能力の限界に挑戦しようという気持ちが薄れ、失敗を恐れ、無難なレベルを選んだ。ということです。

 


これをスポーツに当てはめるとどうなりますか?

怒鳴られる、なじられる、時には暴力を振るわれる、罰を与えられるなど、心理的、肉体的に大きな負担が待っているとなれば、どうでしょう?

 

よほど心理的にタフな子供でなければ、指導者(または親)の顔色を伺いながら、初めから無難なプレーを選択して、自分の限界を狭めてしまうことになりませんか?

 

これは、僕は大人も同じだと思いますよ。
サークルでテニスをする方など、自分のテニスの限界に挑戦していますか?
無難なプレーばかりしていませんか?
他の人のミスに文句や愚痴を言って、周りの人の成長を妨げていませんか?

 


子供の場合、幼い心で判断し、決断し、プレーに移したことは、大人の目から見れば未熟で不十分なことばかりです。間違っている場合も多いです。

 

それでも、その子供の判断、決断をまず褒めてあげて「なるほど、君はそう考えたんだね。」と認めることが大事です。

その上で「じゃあこうしたらどうだろう?」とか「君なら、きっともっとできるよ」と、新たにチャレンジする意欲を持続させるような対応をすべきです。

 

「頑張れば、上手くできなくても認めてもらえる」と思うと、自由にプレーして本当にできるようになるものです。