一人の上達が何故難しいか
いきなり違うスポーツの話をしますね。今年の夏に日本に帰った時に何回か水泳に行ったんですね。プールでちゃんと泳ぐのなんて小学生ぶりくらいで色々忘れていましたが、泳法を教わりながら何回も通って、最初より数段速く泳げるようになり、疲れにくくなりました。
水泳はですね、当たり前ですけど泳ぎ方が間違えていると全然前に進まないんですよ。疲れるばっかりで。反対にしっかりと綺麗なフォームで体を動かすと一つの動作で体がグインッ!と一気に進むわけです。面白いもんです。
さて、テニスの話に戻ります。テニスでも同じ話が当てはまるか???
と考えた時に、これがまたちょっと違うんですね。
例えば速いボールを打ちたいと思った時に、正しい綺麗なフォームで綺麗な ラケットの面ができていれば、少ない力で速いボールは簡単に打てるのですが、これを力任せにラケットをビュンビュン振り回しても同じような速いボールが打ててしまうわけですね。
つまり技術的には間違っていたとしても、自分の腕力に頼って打てた場合に「出来た!」と勘違いしてしまうということです。こういうことがいくらでもあります。
それを続けた結果、テニス肘になってしまったり、肩を壊したり、腰を痛めたり、技術に限界が来たりということが待っている場合も多々あります。
一番厄介なことは、自己流でずっとテニスを進めて悪い打ち方が完全に体に慣れてしまって、良いフォームに矯正しようとしても、体が拒否反応を出してしまったり、ミスを恐れてしまって中々変えられなかったりなどです。ジュニアのサーブで厚いグリップ(フォアハンドのグリップが多い)で慣れてしまって薄いグリップに変えられない子供が多いのが良い例じゃないでしょうか?
「厚いグリップでもサーブが入るからいい!」と意地でも薄いグリップに変えない子供もいます。本人にとってはそれがとても打ちやすく心地良いので変えたくないのでしょう。
しかし、それではスライスサーブ、フラットサーブ、スピンサーブの打ち分け、サーブを打ったまま流れるようにボレーという可能性を全て捨ててしまうのと同じです。
テニスの上達の為には「自分はこれで良い」と思っていることは客観的に分析してもらい直して進化し続けることが必要です。
これが一人の上達が難しい理由です。